食への愛情が宿る家系で育つ
思い起こせば、私は食への情熱を受け継いだ家系に育まれたことに感謝しています。過去を振り返ると、私の家族には食に関する専門家がいました。
曽祖父は、日本にチーズを紹介した某大手食品会社の創業者の一人でした。祖母はアメリカ領事館のシェフとして活躍し、父はフランス料理の専門家として老舗ホテルの総料理長として長年のキャリアを積みました。父はまた、洋食のおせちを導入した先駆者でもありました。そして、叔父は古典料理研究家で、仙台藩主伊達政宗の食事を長年かけて再現し続けました。
彼らの情熱が築き上げた食文化は私の周りに常に漂っており、この特別な環境に身を置くことで、私は他ではなかなか出会うことのできない食材や料理に触れる機会を多く得ました。
私自身も、外国の料理番組がお気に入りで、さまざまな料理本を読むことが大好きでした。
これらの経験は私の食への情熱をさらに深め、常に新しい味覚や料理のアイデアを追求する原動力となっています。
それなのに、食とは離れた分野で働いていた時期
食に関わるプロフェッショナルが身近にいる環境で育った私にとって、それが当たり前のように感じられていたせいか、食とは少し離れた分野で働いていた時期がありました。他業界、特にサービス業に興味を抱いていた20代の頃、客室業務員の職に採用された機会がありましたが、なぜかそれとは全く関係のない金融情報を提供する外資系企業で働いていました。
とはいえ、食への情熱は心の中で消えることはなく、サービス業に特化した勉強をするために、ロスアンゼルスに渡米。その経験から1年後、私はカリブ海にある小さな島、ジャマイカに赴任することになりました。
そして3年間、カリブ海の食文化にたっぷりとつかりながら、ジャマイカのプロモーションを米国に住む邦人に提供。
その後は、アメリカやカリブ海以外でも、ニュージーランドでカフェショップの立ち上げに短期間携わり、日本で人気のあるパンを再現するために現地の大手製粉会社でパン作りに挑戦したこともあります。
再びアメリカに戻ってからは、アメリカの食文化を体験したくカフェショップで朝食やランチの用意をしたり、レストラン、ウェディング、バフェなどの設定をするなかで、アメリカの食に触れる機会を色々とえることができました。
最終的に私が辿り着いたものは、食に関する思い。私自身は食べることよりも、むしろ食を作ることに魅力を感じており、この食の世界を通じて、多くの人々に料理の楽しさや喜びを伝えたいと心から思っています。
ケンタッキー州でのアメリカン・ライフ
私の現在の住まいは、ケンタッキー州です。アメリカでも歴史があるこの州は、あのフライドチキンで有名な所です。実際、現在の住まいはケンタッキーフライドチキンの発祥地からは車でわずか20分の距離に住んでいます。
家族は旦那とやんちゃ坊主のワンちゃん。
〈旦 那〉
グラフィックデザインの分野で数十年にわたって活躍し、子供たちからも愛されるおじいちゃん。彼は動物たちに対しても深い愛情を持ち、自然を尊重し愛国心に溢れる人柄の持ち主です。
[シェルターで出会った養子縁組のワンちゃん、ブーカー]
餓死した兄弟たちの中で生き残った、虐待を受けたワンちゃん。頭の回転が早く走ることが大好き。中型犬ながらも大型犬と変わらぬ食欲があり、手作りフードで贅沢な生活を送っています。 彼の強い生命力と愛らしい姿は、私たちの心を温かくしてくれており、この子には愛と幸せをずっと与え続けたいと思っています。